通算第1525回例会

平成29年5月17日(水)12:30~13:30

ロータリーソング&RIのテーマ・クラブテーマの斉唱

・ロータリーソング『我らの生業』
・RIのテーマ  『人類に奉仕するロータリー』
・クラブテーマ  『感謝と誇りで心の奉仕』
・4つのテスト  『1.みんなに公平か・・・』

本日のランチ

メニュー
・鯵ちぎり天とひじきの和え物
・鶏と野菜の味噌和え
・豚とトマトの冷し中華(豚バラ・トマト・錦糸卵・海老・胡瓜・くらげ)
・卵スープ
・漬物
・白御飯
・みかんゼリー
合計 1040カロリー

会長の時間

みなさんこんにちは。そろそろ梅雨の季節となってまいりました。沖縄奄美地方は昨年より3日早い先週には梅雨入りしたようです。昨年の九州南部の梅雨入りは5月26日だったようです。今年の気象庁の予報では、沖縄地方梅雨明けを6月16日、九州南部では7月18日ごろの予報されております。

先日のテレビにおける今年の夏の気象予報では、昨年と違って太平洋西部の海水温が異常に高く、そのため高気圧の勢力に加え、地球温暖化の影響も加えてか、これまで経験のないような、強烈な猛暑日が続くことが予測されておるそうです。例年ではありますが、熱中症対策を含めて、この夏を健康に乗り越えましょう。

さて、先日の5月13日土曜日に、島原南ロータリークラブ創立30周年記念式典が開催されて出席してまいりました。場所は南島原市南有馬町にあります原城跡敷地すぐそばにある原城温泉 ホテル真砂さんにて、式典及び祝賀会が開催されました。現在、南島原市も長崎の教会群とキリスト教関連遺産として、平成30年の世界遺産の登録に向けて町全体で取り組んでいるところでもあります。

今回、創立30周年を迎えられた、島原南ロータリークラブさんは、登録会員数が20数名でこじんまりしたクラブでありながらも、日々地域のための、奉仕活動に専念されているクラブであります。式典では、本田宏成会長の点鐘で始まって、崎永ガバナー、松本南島原市長を来賓挨拶で始まり、出席者は第7・8グループ会長幹事と地元島原地区のロータリアンやライオンスクラブの代表の方など総勢6、70名程の式典及び祝賀会でありました。

その出席者の中には姉妹クラブの福井県の坂井市にある丸岡ロータリークラブの皆様方も出席なされておられました。こちらの関係については、(坂井市)丸岡と(南島原)有馬とは数百年とも歴史的な関係があって、22年ほど前に姉妹クラブとして締結して、互いの交流を行っているクラブであります。

また、記念事業では、昨年12月に開催された地元出身である、プロ野球選手を招いての少年野球塾が開催され、地元の少年たちを中心に野球指導や交流試合などが行われて、少年たちにとっては、貴重な体験を行うことができたかと思います。

祝賀会においては、地元の碧の会のみなさまによる、大正琴での演奏や、地元の名物料理での楽しませていただきまして、また丸岡ロータリアンのみなさんや、地元島原のロータリアンのみなさんとも十分な親睦を深めることができ、充実した時間でありました。

改めて、島原南ロータリークラブ創立30周年を祝い、更なるクラブの発展と、会員皆さまのご健勝お祈り申し上げ、式典出席の報告に代えて、本日の会長の時間と致します。ありがとうございました。

幹事報告

【例会変更】

※ 諫早北ロータリークラブより

① 日 時:平成29年5月25日(木)18:30~
場 所:L&Lホテルセンリュウ ※夜の例会のため
② 日 時:平成29年6月29日(木)18:30~
場 所:L&Lホテルセンリュウ ※最終例会のため

【例会休会】

※ 諫早北ロータリークラブより
日 時:平成29年6月8日(木)※定款第6条第1節により

【お知らせ】

※ ロータリー米山記念奨学会より
「ハイライトよねやま №206」

※ 地区研修・協議会の出席者は名札をご持参ください
場 所:ホテルグランドはがくれ(佐賀市)
日 時:平成29年5月20日(土)

次年度幹事報告

・山本次期幹事より報告

ウエスト会

・毎熊ウエスト会幹事
ゴルフコンペ 6月8日 11時スタート 喜々津カントリークラブ

ニコニコボックス

永井 栄次君 いよいよ、次年度へ向けた地区協議会が今月、20日に開催されますネ。関係者の皆様方には、大変ご苦労様です。次年度もみなさんでロータリーを楽しみましょう!

髙瀬 善久君 5月20日(土)夕方4時からBS日テレで「家族とお墓のものがたり」が放送されます。全優石で制作した番組です。ぜひ、ご覧ください。

吉田健一郎君 子供にもらった旅行券で雲仙に宿泊して、例会に直行しました。新緑に囲まれた露天の朝風呂は気持ち良く、心をリフレッシュしてきました。

木村 暢義君 何もなかばってんスマイルします。この前の闇市プレオープンありがとうございます。それと、ステント5本目を入れて来ました。私は不死身になりました。

福田 和幸君 久しぶり、風邪をひきました。

会員卓話

卓話者 早田和彦 会員  演題 『 持ち家? 貸家? 』

卓話者 吉野尋隆 会員  演題 『 母の日のカーネンション 』

卓話者 原田典範 会員  演題 『 職業を通じての世の移り変わり 』

私が物心ついたころ、家業は(当時の一般的建設法の)土壁を塗るときに混ぜる【ワラスサ】を製造し、県下の建材店に広く卸していました。当時は諫早大水害の復興需要で大工・左官は羽振りが良く、市内の建材店も他県からの進出を含めて7~8店あったそうです。

しかし土壁から塗り壁へと時代が変わる中、【ワラスサ】を作るだけではじり貧だと思った父は建材店への進出を考えました。復興需要も一段落する中での新規参入には随分と苦労したみたいで、父は県外のメーカーから直に大型トラックで仕入れて値段で勝負するようになりました。

この調達力がオイルショックの物不足の時にものを言い、家主さんを連れた大工さんが来店して、風呂台所のタイルと住宅機器、玄関・床の間と、家一軒分をまとめて受注し売り上げが100万円を超えることもありました。

やがてハウジングメーカーの台頭とともにおいしい商売は終わりをつげます。ぬり壁とタイルで家を造るのは少数派になり、ユニットバスとシステムキッチン、そして壁はパネルにクロスを貼るようになります。規模のメリットを追求するハウジングメーカーは、住宅機器メーカーと直接取引するようになり、お客としての個人の大工さんは瞬く間に比率が下がっていきました。

それが昭和の終わりの頃で、バブルの崩壊も合わさりかなり深刻な事態でした。そこで客層を見直して、マンションやビルの左官工事への材料販売への転換です。きつい値引きで利益は伸びませんでしたが、売り上げは回復しました。

加えて左官職人の広域化が強まりました。仕事を求めて諫早の職人が佐世保で、島原の職人が大村でと遠方での仕事が増え、建材店にも広域配達の要請が来ましたがコストと人手が掛かるので、応えることが出来た店は当社を含めて少数だけでした。

業務内容の見直しに成功して10年ほどは景気も良かったのですが、リーマンショックで赤字に陥り、そのまま父が亡くなり私が後を継いだわけです。調べてみると10年分の垢というか無駄が溜まっていて、その無駄をそぎ落として縮小均衡の形で現在に至ります。建材業は高齢化による同業他社の廃業も進んでいて、やりようによっては業務拡大も可能なのですが、今しばらくは現状維持が良いのかなと考えるこのごろです。